08 ただそれだけだった。
七夕の夜、真田さんに送ってもらった。バイクを転がしながら他愛もない話をして、歩いた夜は何だか星空がきれいだった気がする。彦星様は織姫様に出会えたんだろうか。
それにしても真田さんって本当に読めない人だよなぁ。最初の印象は寡黙な人だと思ってたけど、なんか過保護と思えるぐらい優しいし軽い笑いならよくするし、近い気がしたら遠くにいて遠いと思ったら近い気がする。
はた、と気がついた。最近私は真田さんのことばかり考えている気がする。出前に行けば無意識に真田さんの影、声、姿を探してしまう。こうやってぶらぶら歩いて、海保の基地が近くにあるわけでもないのにこんなことを考えている。
何でだろうな、とか頭の中を検索したりしてみても理由っぽいものが見当たらない。
好きだ、とかそういう話なのかもしれない、と思い当たってもそれがよくわからない。恋とか愛とか、そういうモノに未だクエスチョンが飛ぶ大学生はさすがに誰もが引きそうな気がした。
まぁ、こんなこと誰にも言わないからどうでもいいんだけど。携帯の電波時計が、零時零分になる。あ、八月になった。
「店長暑いです」
「文句言ってんじゃねぇぞ、おら五卓」
カウンターに出された冷やし中華を五卓に持っていく。
「お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」
冷やし中華いいなぁ。今年の夏はまだ一回も食べてないや。盆を持ったまま立ち尽くす。ちら、と時計を見れば二十時五十分。流石にこの時間は人少ない。
不意に電話が鳴った。出前締め切りギリギリに電話かけてくるのは、なんて嫌がらせなんだろう。とかなんとか考えながら私は壁に備え付けの受話器をとる。
「はい、まいどこちら刀々亭です」
『出前をお願いしたいのですか』
ん、この声は、高嶺さんだ。
「はい、どうぞ」
ボールペンを持って先を促せば、いつもは怒濤の注文がされるのに今日はなんだか少なかった。あぁ、この時間は人が少ないのかな。
「ご注文繰り返させていただきます。中華そば一つ、担々麺一つ、ちゃんぽん一つ、餃子20個、以上でよろしいでしょうか」
『はい』
「ありがとうございます、それでは」
『えぇ、事故にだけは気を付けてくださいね』
「……十分気を付けます」
がちゃん、と受話器をかけて、受けた注文を店長に叫ぶ。
復帰後、初めて出前に行ったらすごい勢いでバイクのメンテ方法について一ノ宮さんに怒られ、怪我に関して大口さんや黒岩さんに腕をとられ確認されて、高嶺さんには釘を刺されて、嶋本さんには阿呆阿呆言われた。
バイクと岡持の準備をしに裏口に出て、ライトをつける。海保の人たちはもっとドライな気がしてたんだけど、案外人情者が多いのかもしれない。やっぱり、人を助ける仕事だからそういう人たちが目指して来たんだろうな。
軽いチェックをして、私はまた店の中に戻った。
岡持を持って特救隊の基地をノックしようとしたら、中から嶋本さんの怒鳴り声が聞こえてくる。反射的に身を竦めた。
「だからってトッキュー目指してる奴が漂流ってシャレになりませんよ!」
……え?
「まいどー、刀々亭でーす」
うまく思考は働かないけれど、私はそう言って中に入った。麺が、のびちゃう。
「あぁ、お疲れさまです」
すぐに高嶺さんが気づいてくれて、ほっ、とする。基地の中にあるいつものテーブルに料理を並べていけば、背中に影が降りた。
「しめて2780円です」
立ち振り返れば、高嶺さん。高嶺さんは頷いて財布からお金を出して私の手のひらに乗せる。三千円。
「……どなたか、漂流なされたんですか?」
ニ百二十円出して、その大きな手にのせた。
「すみません、私たちには守秘義務がありますので」
高嶺さんはきっぱりそう言う。あ、そうか、そうだよね。何か近い気がしてたけど、やっぱり私は部外者なんだから。駄目だなぁ。
「あ、そうですよね。すみません、訊いてしまって」
にこ、と笑って新しいパンフレットを渡す。ちゃんと笑えたと思った。岡持を持って、明日また取りに来ますから、そう言って外に出る。
視界の端で見た真田さんは、難しい顔をしていた。
駐機場を横切って、駐車場に向かう。
多分、真田さんの表情から何となく検討はついた。神林さんだ。私の知らない、真田さんの心を持っていく人。……もしかして嫉妬してるなかな。だとしたらとんだ阿呆だと思う。男性に嫉妬って。もしかしたら、違うかもしれないけど。
それに、そんなくだらないことを考えていられるほど状況は甘くないんだろう。人が海に放り出されて、どれだけ生きていられるのかなんて知らない。私なら一日持たない気がする。
岡持をバイクにセットして、ヘルメットをつけ、私はエンジンをかけた。
いま漂流している方、私は貴方のことを何も知らないけれど、貴方の安否を心配してる人がいます。だから、無事に戻ってきてください。
やっぱり私には祈ることしか出来ないんだ。
次の日、器を回収しに来たら、未だに空気は暗いままだった。私は、何も気づかなかったように器を回収する。
「瑞野か?」
ドアの脇に積まれた器を抱えあげた瞬間、基地の扉が開いて吃驚した。
「さ、真田さん」
真田さんは疲れなんて微塵も見せないで、私の頭を軽く、ぽんぽん、とたたいてまた基地に入っていく。それだけで何でか泣きそうになった。
急いで駐車場に走って、岡持に器を入れる。どうしよう。どうしよう。真田さんの手があったかすぎて、火傷してしまう。
あの人は、私と違ってやさしすぎるんだ。
そのまた後日、あの救助者は助かったと、誰かの呟きで知った。