12 真っ赤になって寂しくて、





真っ赤だった。暗闇でしかも時間が経っていたから、絶対に深紅ではないはずだったのに、ただあの場所は赤くて、こわかった。赤は恐怖の色だった。あの人の色だと思っていたのに。







体全体が真っ赤になった私は、救急車から降ろされて、そのまま待機していたお医者様を見送って呆然と立ち尽くす。あ、電話。

夜間受付の人に聞いた通話が出来るロビーに出て、私はリダイヤルを押した。1コールも終わらずに繋がる。

「瑞野です」

今いる病院名を告げて、手術室に入った旨を告げれば、安堵のため息。それを聞いて、やっと私も息を吐き出して、直ぐにせり上がってきた嘔吐感に襲われる。走り出してトイレに駆け込み携帯を放り出した。




「……すみません、ちょっと吐いてました」

やっと血から解放された手をハンカチで拭きながら、通話状態で放り出された携帯を肩と頭で支える。

『それは仕方がない。生死に関わる出来事は体力を否が応にも使う』

それは特救隊の人も同じなんですか、とは流石に疲れていて聞けなかった。あぁ、真っ赤な私は帰ってもいいんだろうか。それとも警察の方とかを待った方がいいんだろうか。そもそも私は自分の名前と連絡先を言ったかどうかも曖昧で、やっぱり此処を離れないでおこう、と思った。

ロビーのソファに腰を下ろして、もう歩いて帰る体力も無かったことに気がつく。真っ黒なコートは捨ててもらった。見ていたくなかったから。あぁ、でも肌寒い、と両腕で体をさすったら、ふわり、とタオルが頭からかけられた。

驚いて後ろを見上げれば、看護師さんが私を見て、安心するような表情でかすかに笑ってくれる。

「髪の毛とかお体、拭いてもいいですか?」

やさしい声でそう訊かれて、無言でうなずいた。何か言ったら涙がこぼれて泣き喚いてしまいそうだったから。

「応急処置が的確だったみたいで、患者さん助かりそうですよ」

良かった。あそこで迷わなくて本当に良かった。ぎゅ、と体を私は固くした。




暫くして、頭や体からタオルが離れる。とほぼ同時にぽす、と何枚かのタオルが私の横におかれた。

「此処に乾いたタオル置いておきますから、まだ気になる部分を拭いてください。血は気にしないでくださいね」

にこ、と笑った看護師さんは少し駆け足でセンターに帰っていく。くらり、と上半身が傾いて、そのまま膝に肘をついて背中を丸める。組んだ手を額に当てて、いつの間にか流れ始めていた鼻先や顎の先から落ちる涙をそのままに、小さく呟く。

「……逢いたいです、真田さん」



「呼んだか?」

また突然の五感への来客に吃驚して辺りを見回せば、特救隊の黒いシャツじゃない、私服の真田さんが看護師さんにつれられて、そこにいた。その看護師さんは私の肩に毛布をかけて、帰っていく。

「……なん、で」
「嶋本の車で送ってもらった」

交通手段を聞いたんじゃないんです。理由を聞いたんです。

それでも、私は真田さんを視界にいれてその姿を認識して声をかけた瞬間、涙がもっと一気に流れ始めた。近くのタオルを一枚引き寄せて、ぐしゃぐしゃの顔を隠す。

「そう、いうこ、ときいてな……っ」

涙と嗚咽でうまく言えない。真田さんの雨に濡れたスニーカーが、きゅっ、きゅっ、と音を鳴らして、そして空いていた私の隣に彼は座った。







「心配だった」

そう呟けば、タオルに顔を埋め泣き続ける瑞野が肩を小さく震わせる。毛布がかかった小さな肩を引き寄せて、嫌々と弱々しく横に振る頭を肩に押し付けた。しかし暫くそうしていたら、瑞野は抵抗を止め、俺のシャツを掴んで喋り始める。

「……す」

ん?、と耳をそばだてる。

「……こわかった、です」
「あぁ」
「真田さんがいてくれてよかった」
「そうか」
「わたし、救急以外で頼れるひと、真田さんしかおもいつかなかったんです」
「……そうか」

ぽんぽん、と背中を叩けば、また肩が濡れた。真っ赤な瑞野は透明な涙を流していく。黒く濡れたシャツにジーパン、おそらく止血に使ったコートはもう駄目になっているだろう。しかし瑞野は一人の命を救えているかもしれない。

そんなことを考えていたら、不意にかけられる体重が増した。確認すれば、瑞野は寝ている。

「真田隊長、どないな……」

車を止めて遅れて来た嶋が小さな声で話しながらロビーに入ってくるのを、静かに諌める。直ぐに眠る瑞野の姿に気がついたのか、嶋は口を結んだ。

「……難儀なやつですね」
「あぁ」

ゆるやかに俺は濡れた髪の毛を撫でる。

「こんな事件に巻き込まれるなんて、な」
「こいつ、出前帰りに呻き声聞いた言いましたけど、……命狙われるんと違いますか?」

嶋は後ろのソファに座り、腕を組む。

「犯人が走り去る瑞野を見ていたら、その可能性は高いだろうな」

殺人未遂、あるいは殺人という事件の渦中に巻き込まれている瑞野は、ただ眠りながら涙を流していた。







「瑞野さん、瑞野さん」

名前と共に体を揺さぶられる。ん、まだ寝てたいのに。それでも揺さぶる手が止まらないから私は無理矢理目を開けた。

「ん……」
「あぁ、よかった、やっと起きてくれましたか」

知らない声。ふぁ、と欠伸をして目をこする。何か頬とか首が痒いなぁ。

「瑞野狐虎さんですね」
「あ、はい」

なんとか意識を浮上させて目の前の人を視界にいれた。スーツの上にコートを着て、何か掲げてる。

「私ら警察のモンです」

その言葉で完全に目覚めた。警察手帳を目の前に出していた刑事さんは私の反応をみて、コートの内ポケットにそれを仕舞う。

「お話を聞かせてもらいたいんですが……一旦家までお送りしましょうか?」

そんなに酷い格好をしてるのかと体を見れば、昨日のまま血が固まって服がバリバリしていた。というか今何時?真田さんたちは?

「それは有り難いですが……今何時なんでしょう?」
「午前五時五十分ですね」

私の目の前にいた人の、後ろに待機している人が答えてくれる。あ、よかった。これで十時とか言われたらロビーでおちおち眠れない。毛布を畳んで、よっ、とソファの背凭れに手をついて立ち上がる。

「お、瑞野起きたんかー」
「あ、嶋本さん、おはようございまーす」

別の廊下から現れた嶋本さんと真田さんに手を振った。

「いま警察の方が来てて、家まで送ってくれるそうで」
「なんや、そんなんこっちの車乗ればえぇやんけ」
「いいんですか?」

確かに警察の方の車よりは嶋本さんの車の方が幾分か気分が楽だとは思うけど。警察の方をみれば、後ろにいた若い人が何かメモを書いて私に渡してくる。

「それでは、こちらの署まできて、こう言っていただければ分かるようにしておきますので」

渡された紙には、彼らの名前と役職名やいろんなことが書いてあった。あぁ、これで安心だと思う。

「はい、わかりました。ありがとうございます」
「よろしくお願いします」

そう言って、警察の方たちは病院を後にする。

「あ、被害者の人の容態訊くの忘れてた」
「出血多量だったが、一命は取り止めたようだ」
「そうなんですか?よかった」

振り返って笑う。本当に良かった。

「それにしてもひっどい格好やなぁ」

嶋本さんが苦笑いしながら私の頭を撫でる。

「もうシャツとかバリンバリンですよー」

くすくす私も笑った。でも笑い事じゃなくて、血まみれのこのままじゃ、不審者として私がご近所さんに通報されてしまう。

「とりあえずこれを着てるといい」

ふわ、と真田さんが着ていたNORTH FACEの上着を肩にかけられた。吃驚して見上げれば、黒いシャツ一枚になった真田さんは私を見下ろしている。

「え、真田さんが寒いでしょう」
「人の好意は借りとき借りとき」

ぽん、と嶋本さんに肩叩かれ歩き出して借りたシャツに腕を通した。ぶかぶか。




駐車場で嶋本さんの車の助手席に真田さん、後部座席に私が乗り込む。

「ナビ頼むでー」
「はい」

病院から大通りに出てもらって、そこからいくつかの曲がり角や信号を通りすぎて、直ぐに私の家についた。

そうだ、大学やバイト先に連絡しておかないと。警察に協力要請されてる時って、講義優先していいのかな。まぁ、いいや。学生課に連絡したときに考えればいいし。

「それじゃ、嶋本さんに真田さん、本当にありがとうございました」

ドアを開けて、降りる前にそう言った。

「警察への足は大丈夫か?」
「バイク使って行きますから」

昨日の雨はとうに引いていて、アスファルトは少し濡れてるぐらい。これなら平気だと思う。

「それじゃ」

降りてドアを閉める。

「瑞野!」

家への歩を進め、声をかけられて振り返ると、真田さんが心配そうな顔をして窓から顔を出していた。

「あ、服は今度お返しにいきますね」
「瑞野、周囲には気を配れ。一人にはなるなよ」

それだけだ、とでもいうかのように真田さんは私の返答も聞かずに窓を閉めて、嶋本さんは車を発進させる。有無を言わせないような瞳。ほんの少し、私の中の何かが喜んだ気がした。







「えぇんですか」
「何がだ」

俺のマンションまで送ると言った嶋は、信号待ちの時に喋り始める。

「瑞野のことです」
「……俺に何かが出来るわけではないだろう」

家族でもなければ恋人でも伴侶でもない、強いて言うなれば友人だ。それも近くはない。

「隊長は何も求めませんもんね」

無表情で嶋はハンドルを切る。感情のない声のはずが、俺を責めている気がした。いや、被害妄想だ。後ろめたいことがあるわけでもない。

「つきましたよ」

ガチャ、とドアのロックが外れ、取っ手に手を伸ばした。降りて、ドアを閉めようとすれば、嶋は真っ直ぐ見てきている。何事かと手を止めた。

「何かあったか?」
「……いえ、何も」

ドアを閉めて、嶋は運転し始めやがて車影は見えなくなる。

俺は、レスキュー以外で誰かの手を掴んではいけない。この手はレスキューの壁を壊すためにあるのだと、そうあの時誓ったからだ。




見上げた空は曇っていた。







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