きらきらかをる

その香は

惑わせ迷わす紛れもない異香















「最近急に涼しくなったな、にゃんこ先生」

俺はまんまるい胴体を短い手足で歩くぶさ猫にそう言った。にゃんこ先生は、寒哭(かんなき)が来たからな、と俺に返す。

「寒哭?」
「そうだ、冬のような声で哭く妖のことだ。おおかた秋の間に自分の縄張りを増やそうとして南下してきたのだろう」

下等な妖の考えそうなことだ、と忌々しそうににゃんこ先生は喋った。

「『冬のような』って表現は可笑しくないか?」
「仕方なかろう、そういう奴なのだから」

妖に人間の道理が通じるか、と突っ込まれた。まぁ、確かに。人間の常識があったら道端で襲ってきたりしないよな。

「雪、降るかな」
「まだだろう」

そっか、そう言って俺は少し屈んでにゃんこ先生の頭を撫でる。その時、す、と何かくろい物とすれ違った気がした。







「おぉ、夏目さま!」

家に帰ると、いつぞやの中級たちが玄関前にいた。

「今度はなんの用だ?」

中級たちはいつものように眉を下げた困った顔をしていない。……なんだ?

「今度七辻原で宴があるので、そのお知らせを夏目殿にもお渡ししようかと思いまして」

一人がそう言えばもう一人が、こくこく、と頷く。宴か……。あんまり妖と関わるのは避けたいんだけどな。

「御参加される場合はこれを二日後の満月の夜、月夜に翳してください」

そう言われて渡されたのは、一枚の掌ぐらいの葉っぱだった。……葉っぱだよな。二日後っていったら土曜日か。

「酒は出るのか」

足元にずっといた先生がそう訊ねる。酒が目当てかこのぶさ猫め。

「勿論。冬の前の宴ですから」
「盛大盛大」

それもそうだな、と一人納得をしてうなずく先生。むんず、とその首後ろをつかんで持ち上げれば、にゃに!?、と先生が短い手足をばたばたさせる。

「冬の前にある宴が盛大ってのはどーゆう意味だ?」
「それはですね」

中級の一人が言葉を挟む。俺は、ぱ、と手を離して先生はきれいに着地する。

「冬になると春への体力をためるためか、冬眠をするものが僅かですがいるのです」
「妖なのにか」
「はい、妖なのにです」

肯いた後、また口を開く。

「ですからその者たちも含めて宴をするので、冬の前の宴は少し賑やかになるのです。お分かりいただけましたか?」
「あぁ、ありがとう」
「それでは」

そそそ、と中級たちは家の敷地内から俺の横を通って出ていった。……何か馨りがした、か?

「夏目、行くのか」
「……無下に断るわけにもいかないからな」

そうか、と先生は短い言葉を呟いた。妖と人間。まるで違うけれど彼らはこちらが見え、人間はあちらが見えない。俺はこんな風に妖と関わっていていいのだろうか。答えのない問いが、ぢくり、と胸の中に沈んだ。







暗い闇い道場所を歩く。道も街灯も木も家も星さえも何も見えない。暗いと自覚する自分以外、何も。自分の手ははっきりと見えるのに、この黒い世界の果てが見えない。此処なら、妖が見えない。俺を、嘘つきだ、と罵るひとたちもいない。違う。此処には、誰もいない。こんなのは、望んでない。望んでない?本当に?まるで、一片足りとも望んだことがない?




妖(おまえ)らなんて大嫌いだ!




幼い頃、同級生に悪戯をされて逃げて帰っているときに、一人の妖にそう言ったかもしれない。今では、あの妖に逢いに行って謝ったけれど、あれがあの時の本心だったことに変わりはない。あれ、じゃあ、この黒の世界は俺の――――







「起きろ!夏目!」

そんな言葉を頭の片隅で聞き取った瞬間、腹の上に、ぼす、と音をたてて何か重いものが乗っかってきた。

「先生……」

上体を起こしながら恨めしげに言えば、先生はしれっと、うなされてたぞ、と返してきた。

「……うなされてた?」
「何を見ていたのか覚えておらんのか」

こくり、とうなずけば、先生は、どうせ大したことじゃないだろ器の小さいやつめ、なんて言う。

「せん……っ」
「貴志くーん」

言い返そうとしたら階下から塔子さんの声が聞こえてくる。

「はい!いま行きまーす!」

大急ぎで着替えて布団を畳んでしまってマフラーを片手にもう一方に鞄を持って部屋を出て階段に駆け降りた。

「すみません」
「お寝坊さんね」

くすくす、小さく塔子さんが笑う。俺はその笑みにとてもほっとした。

「朝御飯、其処に出てるから食べてちょうだい」
「はい」

カタン、と椅子を引いて食卓について、いただきます。







「じゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい貴志くん」

塔子さんの声は、さらさらと心地よくて小川のせせらぎみたいだ。マフラーを俺に巻いて見送ってくれる塔子さんと別れて、俺はてくてくてくてく学校への道を歩く。

「なーっつめ!」

どん!、と背中を叩かれて前のめりになった。けほ、と詰まった息を出して振り向けば、やっぱり。

「はよ、夏目」
「あぁ、おはよう、西村」

西村は、にかっ、と笑って俺の隣を歩き出した。

「いやー、急に寒くなったな」
「ほんとにな」
「今日なんか最高気温19℃だぜ?ありえねーよ」

寒哭が哭くから、か。先生から漢字を教えてもらったけど、あの漢字は叫ぶって意味じゃなかったか?声なんか聞こえないけど……まぁ、いいか。

「おはよっ、二人とも」
「よぉ、ってお前はコートにマフラーかよ」

北田も加わっていつもの面子で学校への道を歩く。ぴゅうぴゅう、木枯らしが吹いてすこし寒い。マフラーを首より上に手繰り寄せた。

「あ!」
「なんだ?」「どうしたんだよ」
「生物の宿題忘れた!」
「馬っ鹿だなー」

やったの家に忘れたぜー、と悶絶する西村。あぁ、それは悔しいな。

「取りに行ったら駄目なのか?時間まだあるだろ、走れば」
「そうなんだよなー、走りゃ間に合うんだよなー」

ん、取りに帰らぁ、と言って西村は、たっ、と来た道を走っていった。俺は北田とそれをすこし眺めてまた歩き出した。…………あ。

「田沼、おはよう」
「あぁ、夏目か。おはよう」

田沼は振り返っていつものように少しだけ笑む。今日は寒いな、と言った田沼に俺は、そうだな、としか返せなかった。







何か、いま、ぶれた。先生を見ていた視界が一瞬、テレビの砂嵐のように見えなくなった。……寒い。風が、吹いた気がしたな。妖……なわけないか。音はただ、教室の前で話す先生の言葉が俺の耳の中に入ってくるだけだった。哭き声なんて、聞こえやしない。







俺は暗い闇い黒の世界にいた。てくてくてくてく、当て処もなく歩いていく。歩く、だけ。歩いて歩いて歩いて、疲れるかと思ったのに、疲れない。何もないこの世界で俺は疲れない。眠れもしない。それじゃあ、何のためにこの世界はある?俺のこころが作り出した世界。此処には、塔子さんも滋さんも、西村も北田も笹田も田沼も多軌も名取さんも、……ヒノエも柊も三篠も中級たちやあの子狐も……にゃんこ先生もいないじゃないか。この世界はかなしい。この世界の存在も、存在理由さえも、かなしい。




独りは、さみしい。







「…………」

朝だ。何かまた変な夢を見た気がする。曖昧には覚えているけれど、真っ暗だったこと以外思い出せない。何か考えたのか、それとも他に何か誰かがいたのか、まったく。今日は金曜日。明日が宴の日。朧な境界線。人と妖。俺は手を見下ろして、握ったり開いたり、それだけを繰り返す。そして一度目蓋を下ろして、すこし思案。目蓋を上げ布団から出て、壁にかけてある学生服に手を伸ばした。







「本当にこうでいいのか?」
「私を信用しないのか、夏目」

まるんまるんぷよんぷよんの、ぶさ猫にんなこと言われてもなぁ。土曜日の夕方から貰った葉っぱを窓を開けたさんの部分に、風で飛ばないようセロハンテープでくっつけて置いておいた。これでどうするんだろう。もう、月がかなり高い。

「……ん?何か光り出したぞ先生」

そう言った瞬間、葉っぱがしゅるりとセロハンテープをすり抜け、白い男物の着物に黒い羽織を着た猫のような生き物になった。

「今晩和、夏目殿。主(ぬし)さまから今宵の案内役を仰せつかっております、桔樹(きちき)と申します」

流暢に言葉をしゃべるその黒猫は深々とお辞儀をして、何処からともなく長い柄のついた提灯を取りだした。

「夏目殿の玄関口で待っております」

ひょい、と桔樹は一階の屋根に当たる瓦を駆けていき下に飛び降りた。行くか、な。鞄に放り込んであった鍵をポケットに突っ込み、そろりそろり、と階段を降りた。塔子さんたちは寝てる筈だ。カラカラカラ、と玄関を開けて、カラカラカラ、と戸を閉めて鍵をかける。

「準備は宜しいでしょうか」
「あぁ」

てっちらてっちら、猫は二本足で器用に歩く。そうして俺たちはいつもの森に入った。

「……なぁ」
「はい?何で御座いましょう」
「月の光を葉に当てる意味って何なんだ?」

桔樹は、あぁ、とすこし笑って前を見たまま理由を話し出した。

「私の主さまは普通の森には中々生えていない『月桂樹』という樹なのです。そして私は主さまの従者であります」

従者とは本来主さまに付き添い従うものなのですが、稀に遠出をすることがあり、その時にこのように主さまの葉に身を宿らせていただきます。主さまから離れると力があまり出せなくなるので私たちは『月桂樹』の名の通り月光を浴びて実体化の力を得るわけです、そう桔樹は言った。つまり、あるじの傍から離れるときの移動方法か。

「夏目殿は早い内から外に出してくださったので長く力を溜めることが出来ました」

ぼうっ、と提灯の明かりに照らされて桔樹の顔が浮かび上がっている。周りはほとんど見えない。暗い、世界。嫌な汗が浮かぶ。ふ、と中級たちとすれ違ったときに馨った匂いがした。







提灯の光が見えない。迷った気がする。それでも何故か足が動いて仕方がなくて、どんどんどんどん、速くなっていく。引き摺、られる。

「おい、夏目、どうした!」
「それより、先生、この馨りはなんだ!」

歩くにつれて馨りがきつくなってきた。気持ちが悪い。頭がぐるぐるしてきた。

「馨り……そうか!」

ぶあっ、と風がおきる。

「乗れ!夏目!」

反射的に目の前の白い毛を掴んでよじ乗った。瞬間、風を切る感触。森の上に俺たちは飛び出る。匂いはもうほとんどしない。

「友人帳、を、寄越、せ」

ずるり、と森から『黒』が昇ってくる。形が定まっていない妖。背中に汗が一筋伝った。

「失せろ!」

先生が吼える。風が吹く。誰かの、哭き声が聞こえた気がした。







「結局あの妖は何だったんだ?」

あの後すごい泣きべそをかいた桔樹と合流してどんちゃん騒ぎを夜明けまで続けた妖たちから解放された帰り道、俺は元の姿にもどって短い手足で足元を歩く先生に訊いてみる。

「あれは馨りを使い、その馨りでその者が後悔していることや気にしていることを夢に見せ衰弱させ、馨りでその人間を誘い込み自分の縄張りに来たところを喰う妖だ。妖にはその馨りを嗅ぐことは出来ん」

餌となる人間専用だからな、と先生は続けた。

「ありがとう、先生」
「全くもって間抜けな奴め」

本当にな。







「夏目、おはよう」
「あぁ、おはよう」

登校途中に田沼に話しかけられる。

「寒いな」

何気なく呟かれたその一言に

「寒哭が哭いてるからな」

と俺は返した。

「寒哭?」
「冬のように哭く妖だそうだ」

もっとも俺も微かにしか姿が見えないんだけど、なんてすこし冗談めかして言えば田沼はまた笑う。

「珍しいな」
「え?」
「夏目が妖の話をするのが」

確かに。俺はそれにちょっとだけ笑いをこぼした。







あの妖がみせていた黒の世界はもう要らない。守ってくれる人がいるから。友人がいるから。守りたい人が、いるから。


だから俺は独りじゃない


壊したくない『今』があるのは幸せなことだと思う

願わくば、あの人たちに幸せを――――












アトガキ。

ただのCPもない夏目友人帳の小話です。
刀河童からリクエストされたので書いてみました。
如何でしたでしょうか?これからもこんな風なのはつらつら書いていきたいです。
コメントをいただければ、需要の確認が出来るので嬉しいです。

それでは、これにて。




※この作品は刀河童のみ持ち帰りが出来ます。








NEO HIMEISM flower_259